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Ilidza Central Mosque

Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  サラエヴォ市街の西端の街、Ilidzaに2016年に完成、2017年に公開された。1,500人を収容する付近では最大の規模のもの。大きな街ではないが、モスクは周囲にあまりなく中央モスクの建造は念願であったそうだ。サラエヴォ市内は伝統的なオスマン様式で建造されたモスクが多いが、ここは赤銅色の巨大なドームそのものが礼拝堂になった珍しいデザインである。現代建築風ではあるが、どことなくオスマン様式との折衷を意識しているのもわかる。ミナレットはコンクリートの円柱形で2段のバルコニーを模した輪で装飾されている。礼拝堂の外周のアーチには6角星がくり抜かれた日除けがつけられている。窓が大きいので、採光には十分で礼拝堂内部は明るい。内部はシンプルで、ドーム状の天井の装飾はカリグラフィーのみ。ミフラーブは中庭に向かってドーム状の躯体がすぼむ後ろ側に設置されている。 ロケーション:トラムの西端の終点、Ilidža駅下車。駅を降りて広場から住宅街の中を何度か道を曲がりながら15分歩く。 訪問:特に断りはなし。 撮影:外観・内装ともに制限なし。

Emperor's Mosque

Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  サラエヴォ旧市街にある、オスマン様式の端正なデザインをしたモスクで、原型は1457年完成とボスニア最古であった。当時、ボスニアを統治していたIsa Bey Ishakovićからの資金の提供によって造られ、現在の姿はその後に再建と改装されているものだ。ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン帝国皇帝Mehmet2世に捧げられ、皇帝のモスクと呼ばれている。旧市街の横を流れるMiljacka川の橋を渡った反対側に佇んでおり、中心部にあるいくつかのモスクに比べ立地が多少離れているせいか、観光客は他より少なく静かな印象だ。見ていると近くで働く人々が足繁く通っているようだ。構造は古典的なオスマン様式で1本の鉛筆型のミナレットと8角形の台座に載った水色のドームが1個である。ポルティコと回廊で囲まれた中庭は正方形で真ん中に噴水があり、礼拝堂側にはドームはないが回廊上にいくつか小さなドームが並んでいる。通りから見ると、ゲートを挟んで特徴のある緑色の木製バルコニーと緑のドームの建物があるが、これは1910年にチェコ生まれで在ボスニアの建築家であった故Karel Paříkによって造られた、Ulema Majlisと呼ばれるイスラームコミュニティの評議会のものであった。

Sisak Mosque

Sisak, Croatia : シサク・クロアチア  シサクはザグレブからやや離れた中央部の工業中都市で、ボスニアからの移民が多いイスラームコミュニティにより新しくモスクと文化センターの複合施設がザグレブとリエカに次ぎ建造され、2022年に完成した。クロアチアはこの後も地方に新しいモスクの建造計画があるが、特に伝統に極めて忠実なモスクのデザインには拘っていないようで、このモスクも礼拝堂そのものを3角形を張り合わせた多面体の巨大なドーム型で造る近代建築である。エントランス上にはトルコのトルコの国際支援機構であるTIKAのプレートが掲げられている。全体の構造は3角形の敷地に先述の通り、ドームを大きくデフォルメした半球状の礼拝堂と直線的なデザインの事務所や図書館、ホールなどがある文化センターの棟と噴水のある大きな広場が造られている。ドーム内部は外からは見えないが光の透過を3角形のパーツで組み合わせており、六芒星の光が床の絨毯に降り注ぐという効果を見せている。

Ferhadija Mosque (Ferhat Pasha Mosque) -Banja Luka-

Banja Luka, Bosnia and Herzegovina : バニャルカ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  バニャルカは首都サラエヴォに次ぐ2番目に大きい街で、ボスニア ヘルツェゴヴィナを構成するうちのスルプスカ共和国側、正教会を信仰するセルビア人が主体となる地域である。モスクの原型は、オスマン帝国の支配下にあった時代の1579年、ボスニアのオスマン帝国将軍のGazi Ferhad-paša Sokolovićの命によって建造された。オスマン帝国時代にはたくさんのモスクを含むイスラームの施設が建造されたが、その後の紛争で多くが破壊され、このFerhadija Mosqueも紛争で、直接的には当時の政府主導で1993年に破壊された。勿論、旧ユーゴ紛争全体では多くのキリスト教建築も同じように破壊されているのだが、セルビア人主体のこの地域では再建における過程でもわだかまりは消えず、暴動などもあり紆余曲折、再建は2007年に始まり2016年に完了した。3個のアーチで支えるポルティコ上に3個の小ドーム、礼拝堂上にメインドームとミフラーブ上に半ドームという伝統的なオスマン様式で造られ、控えめな外装に対してドーム内部は朱色と青を使い植物文様で絢爛に彩られている。

Zagreb Mosque

Zagreb, Croatia : ザグレブ・クロアチア  首都ザグレブにある、クロアチアに現在数カ所のみあるモスクの中央的存在である。クロアチア人は伝統的にローマカトリックを信仰しており、オスマン帝国侵攻後の改宗や、人種と宗教の坩堝であった旧ユーゴスラビア時代、その後の戦争でムスリムの流入があったが全体を見るとムスリムはごくわずかである。個人的な印象であるが、旧ユーゴ諸国の中でも、クロアチアは少ないムスリム人口の割には大規模なモスクが建造されていて、人種宗教観の揉め事の多いバルカンでは割と先進的、共存共生に寛容な気がする。ザグレブはオスマン帝国に占領されずにいたためモスクは無く、新しく中央モスクと図書館や学校がある複合施設が建造された。デザインはボスニアのボシュニャク人建築家Dzemal ČelićとエンジニアのMirza Gološによるもの。従来のバルカン半島で見られるオスマン様式や箱型寄棟造りのモスクの要素はミナレット以外になく、かと言って最新のテクノロジー要素のある近代建築でもなく、緩やかな曲線のドームを3個に切り取って頭頂部をずらして開口部から光を取るというポストモダン的な要素を感じる。内部のバルコニーやミフラーブ、ミンバルも滑らかな曲線を利用してデザインされている。

Sarena Mosque (Suleymania Mosque)

Travnik, Bosnia and Herzegovina : トラヴニク・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  首都サラエヴォからやや離れた山間の小さな街トラヴニクに、美しく装飾された外壁のモスクがある。火災により1815年から16年にかけて現在のモスクの原型に改築され、1980年代に最終的に現在の姿に修復されている。デフォルメされた抽象的な繰り返しでなく、バルカン半島のモスクの内部の装飾で見かける写実的な樹木、花、葡萄などの植物文様が壁に整然と描かれていて、「Ornamented Mosque」とも呼ばれている。ミナレット部分が少し突き出している以外ほぼ長方形の礼拝堂と寄棟造りでドームのない屋根をもち、フラットな礼拝堂の天井には平面の文様が描かれる。画像でも僅かに見えるが、突き出している部分の外壁には果物のスイカにナイフが刺さっているのも見え、何を意図しているのか不明だが面白い。1階部分のアーチで支えられたアーケードには土産品などを売る店舗が並んでいる。エントランスは表から見えず、礼拝者は裏側に2階にあがる階段から礼拝堂へ入る。礼拝堂内部の壁や天井は、オレンジ・青・黄色・緑色の市松模様や六芒星の繰り返す装飾が施され、木製の柱や扉やミンバルも美しい色合いで塗装されている。北マケドニアのTetovoにも同名の装飾で有名な Sarena Mosque があり、現地語でのSarena(頭文字は本来Š)は英語でColorfulの意なのでそれも頷けるところだ。

Ljubljana Mosque

Ljubljana, Slovenia  : リュブリャナ・スロベニア  オスマン帝国の進出のためイスラームの影響が大きい旧ユーゴスラビア全体ではあるが、スロベニアは対抗するハプスブルク家の影響が大きい様である。スラブとイスラームの融合した文化のバルカンを旅してもこの国はどちらかと言うとオーストリアに近いヨーロッパ文化の一国であることを強く感じる。旧ユーゴ諸国の中ではイスラーム教徒の人口はクロアチアに次少なく、過去より現存するモスクも恐らく1箇所くらいではないかと思う。数少ないムスリムのために首都リュブリャナにモスクを建設する運動はあったが反対もあり頓挫していたが、カタールからの資金提供でようやっとモスクを含めた複合施設が完成となった。広く取られた中庭に円柱形の打ちっ放しのコンクリートのオスマン式鉛筆型ミナレットが聳え立っている。正方形の大きなモスク本体とそれを囲むように長方形の図書館や教室や事務棟など4棟が建つ。モスクの隣にはほぼ3角形(実際は台形)に見える池がある。鉄骨の菱格子でコンクリートを覆い反復するイスラームの意匠を表したシンプルで近未来的なデザイン。モスクの扉は木製で暖かに見える。直方体のモスクの天井はフラットでドームは見えないが、内部の柱の無い天井から巨大なドーム状の青い布が吊るされて宙に浮いているいる斬新な仕掛けになっている。今回は中を見学することはできなかったので残念。現代建築のモスクと伝統を融合したデザインはスロべニアの建築事務所であるBevk Perović Arhitektiである。

Rijeka Mosque (Rijeka Islamic Center)

Rijeka, Croatia : リエカ・クロアチア  クロアチアのアドリア海に面した港湾の街リエカにある現代建築のモスク。カタールの援助を受けて2013年完成した。にぶく光る鋼製の独特の半球面と鋭角のカットをもつ。ドームは何個と数えてよいのか、5個のカットされたドームが組み合わされているように見える。ミナレットが無ければモスクとはわからないような、現代アートの作品風の曲線が美しいデザインである。その半球の構造そのものが巨大なドーム状の礼拝堂になっているのだ。彫刻的でもあるのは、ドームの原案はクロアチア人彫刻家の故Dušan Džamonja氏とのことで、それを基にクロアチア・ザグレブの建築事務所であるADB:Arhitektonski Dizajn Biroがデザインした。モスクは山の中腹にある高台に建ち、モスクのある広い中庭の階下にはカフェレストランがありトルコ式のお菓子や旧ユーゴスラビアほぼ全体で食べられているイスラーム系の料理などを食べることのできる。ベランダに席があり、海を臨む景色が見えるので見学の後に時間があれば立ち寄るのもよいと思う。

Fethija Mosque

Bihac, Bosnia and Herzegovina : ビハチ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  重厚な造りのゴシック教会かと思える実に美しい建築である。ゴシック建築の要点でもあるバラ窓と尖頭アーチのエントランスが目を引くが、立派なミナレットがしっかりと立っており、間違いなくモスクである。原型となったのはChurch of Saint Anthony of Paduaと呼ばれた、ゴシック建築のカトリック教会であり、当時クロアチア領だったこの地は1592年にオスマン帝国の侵攻を受け教会はモスクへと転用された。ボスニア ヘルツェゴヴィナとなった現在ではそのままモスクとして使用されており、1266年建造のボスニア最古のゴシック建築と言われている。屋根はオレンジ瓦の寄棟造りでモスクのファサードには前述の鉛筆型ミナレット、広場側にステンドグラスの窓があり、広場と反対側には過去に鐘楼と修道院が併設されていたが既に壊されている。こちら側は壁の色が変わっているのでおそらくその影響であろう。内装は完全にモスクになっていてキリスト教会の面影は全くなくっている。元々教会として建造されたため、天井にドームはなくフラットな状態で、バルカンの寄棟造りのモスクで見かける平面でドームを模した描画もない。当然ミフラーブのあるキブラ壁はメッカの方角を向いていないはずである。画像を見るとわかるが、おそらくミフラーブには角度をつけず、礼拝の方向だけを列を示す絨毯の線でメッカへの角度をつけているのかと思う。2階のバルコニーも画像が歪んでいるようにみえるが礼拝の方角へ角度を付けているからなのであろう。

Gazi Mehmet Pasha Mosque (Bajrakli Mosque)

Prizren, Kosovo : プリズレン・コソボ  1563年から1574年にかけて、モスクやマドラサ(高等学校)、図書館などで構成される複合施設として建造された。周囲にはオスマン時代のハマーム(トルコ式の浴場)や他のモスクなどの歴史的建造物が集う。デザインは伝統的なオスマン様式により、正方形の礼拝堂は3方をポーチに囲まれ、上部は8角形の台座にドームをもつ。ポーチを覆う大きな屋根は茶色の木製で白い壁やアーチとのコントラストが映える。内部のミフラーブとミンバルは大理石で造られており、壁の塗装は1996年に大規模な修復を受けて今に至る。

Ferhadija Mosque (Ferhat Pasha Mosque) -Sarajevo-

Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  サラエヴォ旧市街中心のカフェや数々のショップが並ぶメインストリート沿いに建ち、多くの観光客を集めている。1561年もしくは1562年ごろに造られた典型的なオスマン様式のモスクで、1本の鉛筆型のミナレットをもち、1個の鉛色の大ドームと3個の小ドームがポルティコ上に並ぶ。サラエヴォの知事であったFerhad-beg Vukovic-Desisalićによって建造されたが、過去の火災により初等学校などの他の建造物は消失し、現存するのは礼拝堂のみとなってしまった。また、内戦によりドームは破壊されてしまったがその後の修復活動により現在の姿となった。内部の傷んだ壁画の修復は2011年に開始され2013年に完了し、ドームの鮮やかなオレンジや淡いグリーンで彩られた植物や花のモチーフを望むことができる。

Emin Pasha Mosque

Prizren, Kosovo : プリズレン・コソボ  プリズレンにモスクや時計塔などの建築物を残した貴族一家のMehmed Emin Pashaによって造られ1832年に完成した。歴史のあるモスクであるが、2014年に庭やモスクの外装と内装の修復があり、特に内部のブルーが基調の植物文様の装飾は美しく描かれている。トルコの機関からの援助があり、修復完成時の式典にはトルコの首都アンカラからのビデオリンクでエルドアン大統領も参加したという力の入れようだ。オスマン様式のモスクであるが、おそらくプリズレンで観光客が一番最初に訪れることが多いであろう Sinan Pasha Mosque に似ており、そのコピーとして建てられたとのことである。特に奥へ突き出したミフラーブの上部に半ドームが載った構造はまったく同じであり、描かれた絵も同じく太陽のモチーフに4本のミナレットのモスクが描かれていた。もし時間があれば見比べるのも面白いと思う。

Koski Mehmed Pasha Mosque

Mostar, Bosnia and Herzegovina : モスタル・ボスニア ヘルツェゴビナ  モスクはモスタル市内を流れるNeretva川の崖上に建ち、裏庭からはモスタル観光のハイライトであるStari Mostと呼ばれる橋の正面に据えて眺めることができる。モスクの入り口は橋へ向かう人々が行き交う旧市街の商店が並ぶ小道にあり、低いアーチの門をくぐると洗い場のある中庭が拡がりを見せる。このモスクへもたくさんの観光客が訪れていた。モスクの原型は1618年ごろに完成しているようであるが、近年の内戦で破壊されてしまい現在の姿は再建後のものだ。モスタル出身のオスマン帝国の軍人Mehmed Pasha Koskiの命で作られたが彼は完成を見ず亡くなっておりその兄弟が後を継いだ。典型的なオスマン様式のモスクであるが、木製の斜めになった庇形の屋根がポルティコを覆っているのが特徴でこれは近くにある Karadjoz Bey Mosque にも似ている。メインドームのほかに3個の小ドームをポルティコ上部にもち、28mになる鉛筆型の1本のミナレットをもつ姿も似ている。だが、こちらのミナレットにはバルコニーに鍾乳石状装飾(ムカルナス)がなく、台座にのみわずかにシンプルな装飾があるのが違いであった。

Jashar Pasha Mosque

Pristina, Kosovo : プリシュティナ・コソボ  オスマン帝国時代の現在マケドニア・スコピエ市の総督も後に務めたJashar Mehmet Pashaの名を冠したモスクであり、プリシュティナ旧市街にいくつかある歴史的建造物の一つ。モスク自体は15世紀ごろに建造されたものであるが、プリシュティナの裕福な市民であった彼の資金提供により1834年に、今の原型に改築された。一見、鉛で覆われたドームと鉛筆型のミナレットをもつ典型的なオスマン様式のモスクであるが、通常のオスマン建築にあるようないくつかの小ドームが載った柱廊玄関は道路の拡張で破壊され、このモスクの特徴でもある木製のポーチに置き換えられた。その後、ポーチも含め全体をトルコの機関により修復されている。ポーチと礼拝堂を区切るファサードの壁やドア、ドームなど内部の装飾は、緑や青や茶色を使い、植物をメインのモチーフに使っており可憐で美しい。バルコニーは大きくオレンジ色が使われ、ミンバルやドームの花のモチーフなどにも差し色で使われているのがわかる。

Gazi Husrev-Beg Mosque

Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  サラエヴォ旧市街のメインストリートに沿って建ち、市内観光のハイライトとして多くの観光客を集めている。オスマン帝国時代の政治家Gazi Husrev-Begの資金により、モスクや学校などの複合施設の一つとして建造され、1531年ごろに完成した。庭にある2箇所の霊廟のうちの一つは彼のために造られたものだ。オスマン様式のデザインでポルティコに5個の小ドーム、上部に1個の大ドームと2個の小ドームをもつ。また、ミフラーブのあるキブラ壁上部は半ドームが据えられムカルナス(鍾乳石飾り)が施されている。モスクはその後火災や近年の内戦で損壊され、現在の内装は2001年ごろに修復されており新しい。ミナレットも鉛筆型のオスマン様式で造られ、装飾はほとんどない。礼拝の呼びかけ(アザーン)はスピーカーを使わず肉声で行うとのことであったが、そのことは後から知ったために拝聴することはできなかった。

Sinan Pasha Mosque -Prizren-

Prizren, Kosovo : プリズレン・コソボ  プリズレンはコソボ南部にあるオスマン帝国時代の文化遺産の残る街で、モスクはツーリストで賑わう中心部を見下ろすように建つ。すぐそばを流れるPrizren Bistricaと呼ばれる川にかかる石橋とともに街のランドマークとなっている。 オスマン帝国の政治家Sofi Sinan Pashaにより建造され1615年に完成した。以降幾度かの修復を経ている。通りから見ると近隣の商店街の2階くらいの高さにエントランスがあり、4つの柱と3個の小ドームをもつポルティコへは階段を上っていくことになる。オスマン様式の建築で正方形の礼拝室の上部は8角形の台座で大ドームを支えている。ミフラーブは壁から大きく突き出ているのが特徴で、奥行き感があり上部には半ドームが載っている。内部の装飾はバルカン半島で時折見かけるデフォルメされていない花や植物文様で彩られ、ミフラーブ上のドームには4本のミナレットのモスクが描かれていた。

Sarena Mosque

Tetovo, North Macedonia : テトヴォ・北マケドニア  このモスクは「Painted Mosque」「Colorful Mosque」との名でも呼ばれており、独特の装飾が施された外壁と内装をもつ。原形は1495年に建造され以降19世紀初頭に装飾の改装があり、近年に修復されている。Pena川のほとりに建っており、瓦を葺いた石垣越しに、カードをはめたような不思議な模様の壁が見て取れる。遠目で見るとパネル状の凹凸感があるが色彩の濃淡で影を表現しており、近くで見ると構造的な部分の一部を除き平面である。くすんだオレンジ色と緑色で、星を模したのであろう幾何学模様と、花柄で壁一面が装飾されている。たくさんの信者が訪れていたが、装飾には意に介さず、誰もが日々日常といった感じで礼拝をしてるのが不思議な印象であった。バルカン半島の小さなモスクでよく見られる外観はドームのない寄棟屋根と1本のオスマン様式のミナレットをもつ。内部は目が眩むほどの細かい手の込んだ塗装で埋め尽くされ、特に内部からは見上げることのできる天井のドームは必見。植物と幾何学文様のペイントを施され、窓の形に区切られた円の中に花瓶と交互に、モスクの見える都市の風景が描かれている。

Ebu Bekr Mosque (Al-Zamil Mosque)

Shkoder, Albania : シュコドラ・アルバニア  過去このモスクのある場所には、Fushe Cela Mosqueと呼ばれる古いモスクが建っていたがアルバニアの政策によって破壊されてしまった。その跡地にサウジアラビアのSheh Zamil Abdullah Al-Zamil氏からの援助により新しいモスクが1995年に造られた。モスクの名は預言者ムハンマド死後の指導者、初代カリフとなったアブー・バクルの名に因んで付けられた。氏の援助の功績により、Al-Zamil Mosqueとも呼ばれている。オスマン様式にガラス面を多く取ったモダンなデザインである。2本のミナレットは41mの高さがある。

Sultan Mehmet Fatih Mosque (Mbretit Mosque)

Pristina, Kosovo : プリシュティナ・コソボ  その名となったSultan Mehmet II Al-Fatihの命よって建設され1461年に完成した。トルコ政府機関の援助により修復されている。「皇帝=Mbretitのモスク」との別名もあり、プリシュティナでは一番の大きさである。オスマン様式で建造され、鉛筆型の1本のミナレット、1個の大ドームと入り口のポルティコ(柱廊玄関)上に3個の小ドームをもつ。ファサードの2枚の窓だけは丸く愛嬌がある。モスク全体の装飾として主に反復する青い植物文様が描かれている。

Selimija Mosque (Bar Islamic Center)

Bar, Montenegro : バール・モンテネグロ  アドリア海の港街バールの旧市街に、モンテネグロ=「黒い山」の国名どおりの黒い山々と空に向かって聳えるミナレットが映える美しいモスクがあった。全体の外装はベージュでアーチだけに赤茶色のストライプを配し、ドーム外装はすべて黒、幾何学文様はなく、わずかに鍾乳石飾り(ムカルナス)を模したデザインが隅に見られるほどの整然としたデザインだ。中心にあるモスクは2本の高さ42mのミナレットをもち、施設内に1,800人を収容する。トルコ政府機関の資金協力で完成した。モスクは湾曲した回廊に囲まれ、回廊には幼稚園・ハラールレストラン・図書館・ホールなどがあり、祈りの場としてだけでないイスラーム文化継承のための複合施設となっている。中庭は広く取られ、ヨーロッパの街角で多く見かけるオープンカフェとなっており人々が憩いに訪れていた。