Posts

Ortakoy Mosque (Buyuk Mecidiye Mosque)

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  ボスポラス橋をバックに海峡の岸辺に建つなかなか絵になるモスクで、市街地から若干離れている場所ではあるが、礼拝堂はその美しさからであろうかツアー客でいっぱいであった。2本のスリムなミナレットを抱くコの字のピンク色をしたファサードは西洋建築風である。その後ろに正方形の礼拝堂が控える独特の形状で、巨大なドームはオスマン様式のシンプルな青銅色のものであるが、ドームの載った台座から下の4隅の4本の柱とアーチの形状は美しく絢爛に装飾されている。デザインはトルコへ西洋建築技術を持ち込み国内にたくさんのモスクや公共建築を建造した、アルメニア建築家一族のBalyan家の父Garabet Balyan氏と子であるNikoğos Balyan氏。イスラーム建築と西洋建築の融合させた建築で名高い建築家であるが、このモスクもネオバロック様式の華麗なデザインを取り入れている。礼拝堂でドームを見上げると、正方形のモスクの壁は美しく装飾された細長い窓を当てがった垂直性を相当に感じさせるデザインで、その煌びやかさと共に天井の高さに驚く。イスタンブールの歴史的なモスクは基本的に窓が小さく薄暗いが、ここはその4面の窓からもたくさんの光が差し、内部は非常に明るい。ドームの内壁も、オスマン様式で見られるような平面的な植物文様の繰り返しとは異なり、緻密な絵画のような独特なものであった。

Al-Jabbar Grand Mosque

Bandung, Indonesia : バンドン・インドネシア  バンドン出身の建築家、州知事でもあるRidwan Kamil氏渾身の作となる巨大モスク。途中工期の中断もあり、外装が完了してからもなかなか工事は進まず5年を費やして完成した。礼拝堂だけで約10,000人を収容する。氏の設計したモスクはバンドン郊外のキブラ壁を取り払い、グレイのブロックを積む無機的な構造で話題になった Al-Irsyad Mosque があるが、他にもおよそモスクには見えないモスクをデザインし建造していることでも話題である(最近のモチーフは花や折り紙などであった)。このAl-Jabbar Grand Mosqueもインスピレーションは魚の鱗とのことで、巨大な三角形の庇と菱柄の段差のついたガラスパネルのモチーフをドーム状に重ねた壮大なデザインである。モスクは貯水池の中にあり、礼拝者は入場と出場に分かれた2本の橋でアクセスする。鋭角の4本のミナレットは池の水中から突き出している。文様は幾何学的なイスラーム文様が基本的に使われているのだが、鱗の庇の裏側だけはBatik Megamendungと呼ばれる雲柄が使われており、氏の郷土愛からなのか。訪れたのは日曜日のせいか、礼拝者が詰め掛けており、中庭の外周の回廊ではたくさんの人々が座り込んでくつろいだり食事を取っていた。

Al-Shafei Mosque

Jeddah, Saudi Arabia : ジェッダ・サウジアラビア  Jeddah旧市街の歴史地区、Al Balad地区にある市内で最古ともいわれる歴史あるモスクである。旧市街は伝統的な格子を使った装飾が特徴の中層の建築群が立ち並ぶ地域で、その入り組んだ路地の中に隣り合ってミナレットが建っている。門をくぐり、モスクは通りより低い場所にあるため通常のモスクへの入場と違い階段を降りるのも珍しいが、すると中庭にある四角く開けた空間が広がっている。周囲と建築と違って平屋建ての建築様式は独特で、アラブ様式ではあるが原型は13世紀頃の建造、その後大規模な改築とのことで、中庭の木製の柱と梁、十字型の彫刻の装飾で支える2面のアーケードが美しい(以前の写真を見ると構造的には4面がぐるりと中庭を囲む回廊だが、現在はガラス窓がはまっており作り変えられた)。礼拝堂は列柱のアーチが整然と続き、中庭と同じ木製の天井にシャンデリアが輝く。暗く見えにくいが、ドームも木造である。現在はモスク全体のさらなる修復が終わっており、洗練されている中に初期イスラーム建築のプリミティヴな雰囲気も残っていて、個人的に見学したサウジアラビアのモスクの中では一番好きなタイプのモスクである。ミナレットはこのモスクの様式とまったく関係なく、エジプトで見られるような2段になった緻密なムカルナス装飾のバルコニー、柱が四角形から上部へ向けて八角形に、頭頂部が球状になったデザインだ。モスクが建つ前から別のモスクがあり、そのミナレットをそのまま使っているのか。年代もこのモスクの建造より古いそうで、確定できていないようである。モスクは開放されているかどうか、はっきりとわからなかったが、中庭はガイドが率いる観光客の団体や、おそらく個人的に訪れる観光客もみかけたのでおそらく中庭までは許可がなくとも入ることはできそうなので、旧市街探索の建築巡りのハイライトとしてお勧めする。

Zeyrek Mosque

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  Monastery of the Pantokratorという修道院の複合施設を転用した、イスタンブールのビザンツ様式建築の中ではHagia Sophiaに続き、2番目に大きいモスクである。庭正面から見ると左右非対称なのは、1棟と2棟の増築された教会が平行に建ち統合されたためで、向かって左から南棟のChurch of Christ Pantocrator、中棟のChapel to St Michael、右が北棟のChurch of the Theotokos Eleousaである。多くの皇帝が埋葬されたため、真ん中は皇帝の霊廟などとも呼ばれる。南北の教会は、ビザンツの正教会建築である四円柱式内接十字型で造られた。礼拝堂上のドームは南北に1個、真ん中に2個、それぞれ違う規模で違う文様で装飾されている。南棟のエントランス側にもう1個ドームがあるが、1階から構造上見られることができなかった。各々の礼拝堂は正教会で見られる礼拝堂へ入れない者のためのナルテックスと呼ばれる細長い通路状の構造で接続されており、また、もうその外側がアウターナルテックスが出っ張りのようになって南棟と中棟を接続している。ミナレットはナルテックス側、エントランス側に建つ。ビザンツ帝国時代の教会、霊廟から一時的にラテン帝国時代の宮殿、オスマン帝国の侵攻後にマドラサ、モスクとなりその後は放置され外壁は崩壊が始まるほど荒廃してしまったが、その長い歴史に渡る建築の意匠は綿密に調査されて現在は美しく修復されている。

Bogor Grand Mosque (Al-Mi'raj Grand Mosque)

Bogor, Indonesia : ボゴール・インドネシア  ジャカルタ郊外のボゴール市は街の中央に大きな植物園があり、モスクは駅周辺の繁華街からはその公園を越えた高台に建っている。モスクの敷地は大きく中庭が取られ、中庭を挟んで2棟の建物が建っているのだが、メインドームと2個の小ドームを持つ礼拝堂にはミナレットはない。構造は少し変わっていて、礼拝堂はアーケード状の回廊で別棟と繋がっており、その別棟は下層がイスラーム開発研究ボゴールセンターの事務所などに使われ上層がミナレットになっている。ミナレットは台座の長方形から8角形になり、段々に細くなっていく。設計はジャカルタの Istiqlal Mosque を設計した建築家Frederich Silaban氏であるが、モスクの原型は大規模に改築されて現在は異なっているようだ。礼拝堂は2層で、金のカリグラフィーを纏うコの字のバルコニーと金で装飾された大きなミフラーブが目に入る。バルコニーの床下に当たる部分は8角の星をモチーフで繰り返し装飾されている。 ロケーション:ボゴールはジャカルタ近郊の街でジャカルタ市内のJakarta Kota駅からManggarai駅経由のKRLコミューターのBogor Lineに乗って1時間半。徒歩では駅を降りて、繁華街を抜けると大きな正方形状の植物園があり、迂回しながら歩くのと工事で道が寸断されていたりと1時間程かかった。途中で植物園にも寄っているのでモスクまで徒歩で来てしまったが、ボゴール駅からAngkotと呼ばれるミニバスもありモスクの前まで行くことができる。 訪問:モスク入口のカウンターで門番に確認、英語が通じなかったが身振りで伝えた。 撮影:外観・内装ともに制限なし。ドーム直下まで撮影可能。

Al-Ghamamah Mosque

Madinah, Saudi Arabia : マディーナ・サウジアラビア  Al-Masjid An-Nabawi (Prophet's Mosque) 前の広場に建つサウジアラビアでは珍しいオスマン様式のモスクである。Madinahで最古のモスクのひとつともいわれるが何度も改築されているので原形は定かでない。オスマン・サウジ戦争で負けたサウード家の国家からオスマン帝国の治世下に移った際、オスマン様式に改築されて今に至る。名称はアラビア語の「雲」から、確かに名称のアラビア文字を削って検索すると雲が出てきた。雲の名は雨(雲)を呼ぶ祈願から取られたという。聖地を前に孤高の存在であるが、ムハンマドが祈りを捧げたことで高名で、礼拝者を集めている。黒い石造りのモスクというのもなかなかなく、格好いい。後ろから見るミフラーブ上のドームがメインドームの1個であり、他5個のドームが礼拝堂上に合わせて3個が2列、合計6個が礼拝堂上に並ぶ。ファサードのアーチで支えられたポルティコ上部にも、形状が異なるお椀を伏せたようなドームが5個あり、中央の1個は少し高くなっている。

Tesvikiye Mosque

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  瀟洒な洋館のような趣のある、アルメニア人の建築家Krikor Balyanによって造られたネオバロック様式のモスクである。ファサードのコリント式柱頭の4本の柱と頭上のペディメントに掲げられたオスマン帝国の国章が印象的だ。1階左右端の表玄関の扉の上の紋章は国章の一部、アラビア文字の署名である。ミナレットもトルコのオスマン様式のモスクで一般的なものと一味違う、バルコニーは鍾乳石模様でない彫刻が施され、先の尖った鉛筆状でない丸みを帯びた段の飾りのようになっている。Balyan家は西洋建築の技術をオスマン帝国に持ち込んで多数の宗教建築や公共施設を造った多数の建築家を生んだ建築家一家でなのであるが、その一人であるKrikorも、このモスクをイスラーム文化とネオバロック様式の折衷でデザインしている。礼拝堂内部はトルコのモスクは外見を地味に、内装を飾り付けるのが常であるが、ここは伝統的なタイルの花柄で覆いつくすようなものではなく金色をふんだんに使った豪華なもの。特にミフラーブ周りは金を使いバロック様式の建築の外観のようにデザインされていて、しかし派手な煌びやかさではなく重厚感のある美しいものだった。

Ilidza Central Mosque

Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ  サラエヴォ市街の西端の街、Ilidzaに2016年に完成、2017年に公開された。1,500人を収容する付近では最大の規模のもの。大きな街ではないが、モスクは周囲にあまりなく中央モスクの建造は念願であったそうだ。サラエヴォ市内は伝統的なオスマン様式で建造されたモスクが多いが、ここは赤銅色の巨大なドームそのものが礼拝堂になった珍しいデザインである。現代建築風ではあるが、どことなくオスマン様式との折衷を意識しているのもわかる。ミナレットはコンクリートの円柱形で2段のバルコニーを模した輪で装飾されている。礼拝堂の外周のアーチには6角星がくり抜かれた日除けがつけられている。窓が大きいので、採光には十分で礼拝堂内部は明るい。内部はシンプルで、ドーム状の天井の装飾はカリグラフィーのみ。ミフラーブは中庭に向かってドーム状の躯体がすぼむ後ろ側に設置されている。 ロケーション:トラムの西端の終点、Ilidža駅下車。駅を降りて広場から住宅街の中を何度か道を曲がりながら15分歩く。 訪問:特に断りはなし。 撮影:外観・内装ともに制限なし。

Quba Mosque

Madinah, Saudi Arabia : マディーナ・サウジアラビア  Madinah市内中心からやや外れにある、イスラーム史上では最古とも呼ばれるモスクである。Madinahにおいて Al-Masjid An-Nabawi(Prophet's Mosque) に続く聖地にあたり、礼拝に訪れる信者で溢れている。モスクとして原形が完成したとさせるのは西暦622年、ムハンマドがマッカから迫害を逃れて、この街に移り住んだ年である。イスラーム暦はヒジュラ暦と呼ばれるがこの年がヒジュラ暦での「1年」になる。現在のモスクは再建されたものであり完成は1986年。サウジアラビアで多数の、Jeddahの King Saud Mosque もデザインしたエジプト人建築家のAbdel-Wahed El-Wakil氏によって造られた。デザインは重厚な長方形で建物の真ん中に大きな中庭がある。礼拝堂上に明かり取りの窓がついたメインドームは6個、うち1個が一際大きく造られ、小ドームが合計56個ある。4本のミナレットは礼拝堂4隅に建てられており、四角形の土台から上部へ向けて八角形、円柱と変化する。エジプトでよく見られる形状で、2段のバルコニーにムカルナス装飾が施されている。以前のモスクはミナレットが1本の古い画像で見る限りでは四角形の似た雰囲気のモスクだが、これは完全に壊されて再建された。

Hagia Sophia Grand Mosque

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  トルコの首都イスタンブールで Sultan Ahmed Mosque(ブルーモスク) と双璧を成す巨大モスクであり、「Hagia Sophia=聖なる知恵」と名付けれたビザンツ様式の歴史建築である。トルコ語ではAyasofyaと呼び、対外的にそのようにも呼ばれている。激動の時代を耐え、元々は栄華を誇ったビザンツ帝国時代に、キリスト正教会のMegale Ekklesia(大聖堂)として建造されたものであった。ラテン帝国の一時的な支配下でローマカトリック教会の時期があったが、正教会に戻った後もやがて、オスマン帝国の侵攻によって滅亡したビザンツ帝国の終焉を経てモスクへと転用されることになる。その後は世俗化した博物館となり、2020年にまたモスクに戻るという数奇な運命を経て今に至る。構造自体も現在のモスクとなる建造物の原型は3代目にあたり、初代と2代目は暴動で焼失、破壊されて残っていない。3代目の建造に当たって当時の最高峰の技術を集め、巨大な長方形で、メインドームとそれを挟んで2個の半ドーム、4本の柱とアーチでメインドームを支え、主身廊と2本の身廊、聖堂に入ることを許されない人々のためのナルテックスと呼ばれる細長い部屋で構成された基本的に現存している今の姿で完成した。現在でもヨーロッパで見かける標準的な長堂のバシリカ様式建築と、ドームを抱く正方形の集中式建築を融合させた「円蓋式バシリカ」と呼ばれることになる斬新な設計である。その後はしかしながらドームの崩壊、修復やバットレスを付け加えたりと段々と姿は変わっていくがおよそ現在の姿を保ってはいる。オスマン帝国時代になり、Mehmet2世によってキリスト教会から更にミンバルやミフラーブ、ミナレットなど付け加えられモスクとして運用されることとなった。最初に建てたミナレットはこれもまた崩壊してしまい、新たに建てた4本のミナレットが現存している。うち2本はオスマン帝国の天才建築家のミマール・スィナンによる。偶像崇拝を禁じたイスラームでもさすがにこの巨大建造物への畏敬の念からか内部の破壊はほとんどなかったようで、モザイクは漆喰で塗りつぶしていただけであったので現存している。ミフラーブが置かれている主身廊の一番奥、正教会の時代の至聖所(アプス)の頭上にある聖母子の宗教画は現在は