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Showing posts from May, 2024

Hayat Bakshi Mosque

Hyderabad, India : ハイデラバード・インド  ハイデラバード市内に行き渡るゴールコンダ王国時代のインド・イスラーム建築であり、ドームのない長方形の礼拝堂と角の2本のミナレット、5個のアーチと典型的・伝統的なその姿で建造された。ミナレットの上部や透かしの欄干がとても美しい。地面から台座のように一段高くなったところに中庭があり、礼拝堂は更に高く数段の階段の上に建つ。中庭は靴をはいたまま、階段の下で靴を脱ぐようである。アーチには柵と扉が付いていて、礼拝堂に内部を見ることはできなかった。モスクの中庭の周囲はぐるりと廃墟のような状態の放置された小部屋で囲まれていて、過去には旅人や巡礼者や商人の泊まるキャラバンサライであった。外部からのアクセスは小部屋の列の区切る美しいアーチの門からで、モスク中庭の左右と前にある。

Yeni Mosque -Istanbul-

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  ガラタ橋を望む金角湾前に巨大なオスマン様式のモスクが威風堂々と立ちはだかる。イスタンブール各地域を結ぶフェリー乗り場を前に、隣に巨大なスパイスマーケット、Egyptian Bazaarを控えた場所だけに、礼拝堂は観光客が見学にたくさん訪れていた。ビルのようにも見える角ばった重厚なファサードの向こうは、門をくぐると中庭を囲む小さなドームとアーチのアーケードになっている。中庭の広さと、大通り側からは遠くに見えた礼拝堂の大きさには圧倒される。中庭と礼拝堂は共におよそ正方形でその境に3段のバルコニーの着いた鉛筆型ミナレットが2本聳え立っている。モスク自体は典型的なオスマン様式でメインドームとそれを十字に支えるハーフドーム、小さなドームが4個ある。内部は青いタイルの巨大な柱、円のシャンデリア、見上げると緻密なアーチの文様、重なる巨大なドームと、その荘厳さには息を呑むばかりである。

Tara Mosque (Star Mosque)

Dhaka, Bangladesh : ダッカ・バングラデシュ  バングラデシュを訪れる日本人の間では、星の文様が散りばめられたドームと、礼拝堂を飾るなぜか富士山のタイルで有名なモスクとなっている。リキシャや人々が行き交うカオスのような旧市街・オールドダッカの真ん中にあり、細い路地をぐるぐると巡って辿り着く。非常に不便な場所ではあるが、旧市街は訪れることだけで観光のハイライトになるような場所なので、街まで来てしまえばそう難しくはない。モスクは低層の住宅やらアパートの続く路地が開けた、学校の校庭の隣にあり、モスク自体も大きな中庭があるので分かりやすい。ムガール様式で建造され、礼拝堂は長方形の1層で頭上に2個のメインドームと3個のサブドームを抱いている。煤けてしまっているが、青い星の文様から、Star Mosqueとも呼ばれている。ファサードは9個の多弁型アーチからなり、煌びやかな星と植物文様で装飾されている。よく近づいて見ると塗装ではなく、文様だけでなく無地の白い部分でさえもちろん、細やかなモザイクで造られているのがわかる。礼拝堂内部は細長い2部屋に壁とアーチで区切られていている。時間によってはアーチに据え付けられたフェンスが閉じられているようであるので、ドームとミフラーブのある側を見学したいのであれば礼拝時間過ぎの方がよいのかも知れない。内装も外壁と同じモザイクと、花柄のタイルで彩られていて、富士山のタイルもその一部にはめ込まれている。

Kowloon Mosque

Hong Kong, Hong Kong : 香港・香港  香港九龍側の繁華街であるネイザンロードに沿って、白いモスクが建っている。モスクの敷地は九龍公園の横にあり、密集した香港独特の中層ビルが途切れ、大きく空いたような空に白く大きなドームと4本のミナレットが一際目立つ。1984年に完成した。元々付近の尖沙咀は元英領の歴史故、同じ英領であったインド亜大陸系の人種が多く集まっていたが、モスクを訪れるのも人々も、見ていると殆どがそのようだ。ネイザンロード階段を上がった1階はホールがあり、さらに階上へ上がると2層になったドームのある礼拝堂がある。1階は机が並べてあったが、こちらも礼拝室として使うことができるようである。階段を登り礼拝堂に入る。透かしの文様が入った大きな窓から太陽光が差し込み、内部は明るい。メインドームは外側も内側も文様はなく白く塗られているのみ。見上げると天井はドームの直径で円に切り取られていて、上層のムスリマの礼拝堂と吹き抜けになっている。デザインとして4個のお椀を伏せたような小さな植物文様のドームが、メインドームの周りに十字形に配されている。中には数人の礼拝者のみがおり、音もせず、香港屈指の繫華街の人々が行き交う雑踏の中で、忽然と静寂の空間が広がる不思議な印象であった。

Al-Sheikh Qasim Bin Muhammad Al-Thany Mosque (Hulhumale Mosque)

Hulhumalé, Maldives : フルマーレ・モルディブ  モルディブは言わずと知れたリゾートの群島であるが、基本的に外国人の滞在する高級リゾートと一般の住民の生活は隔絶されている。このモスクは土地の僅かなモルディブの国策として埋め立てを拡張している巨大な人工島フルマーレにある。島は首都マーレから船で15分程、陸路でも橋が本島から繋がっている。島の名からHulhumale Mosqueとも呼ばれており、商店などが並ぶ繁華街近くの木立の中に建つ。モルディブでも大きなモスクのひとつでもあり、モスクは円形で三角形の集合体からできた金色のドームが覆うように載った構造である。ミナレットは礼拝堂本体の建物から独、立して僅かに離れていて、頭頂部にはドームと同じような三角形の集合体のデザインの小さなドームがある。ブルーの床と白い三角形の繰り返す構造からの幾何学文様、三日月のような形状に切り取られた2階のバルコニーと大きな吹き抜けが織りなす空間が壮大で、ドームを外から見るのと内部は相当違った印象であった。

Fenari Isa Mosque

Istanbul, Turkey : イスタンブール・トルコ  Lips Monasteryと呼ばれた修道院(通称北教会)と、後から隣接して建造されたThe Church of st. John(通称南教会)とが内部でアーチを隔てて繋がっている複合施設を、モスクへ転用している。北・南教会はビザンツ様式で建造された。その後に教会の南側と西側をL字の外部ナルテックスで覆い、15世紀末にモスクへ転用され、南西の角にミナレットを付け足されている。火災や修復、廃墟の時代を経て、現在は改修が終了し新しいモスクとして礼拝に開放されているが、北教会側のドームの淵は修復中のようにギザギザのままであった。メインの礼拝堂は南教会側で、こちらはドームは見たところ整えられており、半ドームの祭壇の位置に木製のミフラーブが礼拝の方向に角度をつけて置かれている。モスクは多くの人々が行き交う大通り沿いに建ち、訪れたのは礼拝時間をはずしたのであるが、中はずいぶんと沢山の礼拝者が訪れており撮影は難しかった。驚いたのは中国西方のムスリムの青年が礼拝に訪れており、こちらを中国系ムスリムかと思ったらしく話しかけられたことである。在住者とのことであったが、ビザンチン時代の正教会建築建築を改装したトルコのモスクで出会うとは思いもよらず、いろいろと話を聞いた。

Sat Gambuj Mosque

Dhaka, Bangladesh : ダッカ・バングラデシュ  ダッカのやや郊外に建ち、訪れ難い立地に建っているのではあるが、ダッカに現存する17世紀ムガール帝国時代のイスラーム建築として非常に価値のある存在であるかと思う。僅かな近隣の住民が礼拝と寛ぎに来ているくらいで他に観光客などは見かけず、静寂に包まれたモスクであった。外装は経年劣化が進んでいるのだが、ほぼ長方形の礼拝堂の中心にメインドームが1個、両脇に若干小さなサブドームが2個、長方形の4隅にのめり込むように接して8角形の塔状のドームの付きミナレットが配置されている。小さなスマートフォンのカメラでは上手く撮れなかったのだが、どこか高い位置から全体を俯瞰すると分かりやすいかと後で知った。頭上に合計で7個のドームをもち、ベンガル語でSat Gambuj Mosque=「7個のドームのモスク」と名付けられた。玉葱型ドームと、門と礼拝堂正面、ミフラーブにも多弁形アーチを配し、その時代の通り、ムガール様式で建造されている。礼拝堂のドーム内部は漆喰で白く塗られ、2層の塔状のミナレットの1階平面の天井も同じように白く、どちらも同じ漆喰のパターンで飾られている。

Sultan Abu Bakar State Mosque

Johor Bahru, Malaysia : ジョホール バル・マレーシア  重厚な英領コロニアル建築のモスクが、シンガポールとの海峡を見下ろす小高い丘に建っている。寄棟造りの大きな屋根をもつ礼拝堂にメインドームはなく、天井はフラットである。礼拝堂は長方形で左右対称であるが、建物自体は庭を前から見て左側が長い。ミナレットは4本あり、うちメインの2本はファサードと裏庭の側玄関の礼拝堂に張り出している。大きなアーチで車寄せを造り、その上に小さなドームの載った8角形のミナレットが建つ。最上階には丸い窓、ドームには冠のようにキューポラが載り、ミナレットらしかなるイギリスの時計台風の荘厳なデザインであるが、インドのムガール・ゴシック建築の折衷も感じられる。礼拝堂への訪問はできなかったが、開いたドアから金色の天井を少しだけ見ることができた。名称となったSultan Abu Bakarはイギリスのビクトリア女王と関連が深く、その治世である、ビクトリア時代に影響された建築がジョホール州に多く造られており、このモスクもその影響下にある。その名を冠したモスクが完成したのは1900年のことであるが、本人は完成を待たず滞在中のイギリスで亡くなっている。