ムガール様式で建造されることが多いインドのモスクの中で、異彩を放つムーア様式建築のモスク。スパニッシュ・モスクという別名でも呼ばれ、ハイデラバードの貴族らとその一人Iqbal Ud Daulaによって建造が始まり、1906年に完成した。モスクの名にもなった彼がイベリア半島を旅行中に見たムーア様式建築に感銘を受け、それをインスピレーションにデザインされ造られたという。そのため、通常のモスクにあるような円柱形の高いミナレットやドームはなく独特な八角形の尖ったデザインの尖塔型のミナレットをもつ。
ロケーション:ハイデラバードの中心にある湖、フセイン・サーガルの北側にある。歴史建造物のある観光客の集まる地区とは反対側で、公共の交通機関は分からずオートリキシャで訪問した。
Kuala Lumpur, Malaysia : クアラルンプール・マレーシア クアラルンプール市内の中心にあり、市の名前の語源になった二つの河の合流点に建つ。歴史的建築物としてもクアラルンプールのハイライトとして必ず紹介されている有名なモスクである。最近のマレーシアの観光スポットになるようなモスクらしい派手さはないのだが、周囲は英領マラヤ時代の建築が多く残る地域で訪れる価値は十分にある。1909年に建造され、クアラルンプールで最初の大型なモスクとも言われているのだが、比較的新しくも感じるのはおそらくクアラルンプール自体が英領時代に発展を遂げたからであろう。設計したイギリス人の名建築家であるArthur Benison Hubbackはムガール様式をベースにしたインド・サラセン様式にムーア様式を折衷させたデザインを取り入れることでも知られている。このモスクでも、玉葱型ドームの形状や3個のドームと両端の背の高い2本のミナレットとの構図がムガール調であったり、外壁にストライプ模様やアーチが馬蹄形のムーア調を組み合わせたりと、手の込んだデザインを見せている。レンガの色が薄くドームとミナレットがある真ん中の礼拝室のある建物が原型のモスクで、渡り廊下で繋がったレンガの色が濃い建物は増築部分となる。八角形のドームは植物文様の入った天井で塞がっているような状態でその内側を見ることはできなかった。ドーム台座に馬蹄形アーチをかたどった灯り取りの窓がはめ込まれていたり、ミフラーブも馬蹄形アーチ型をしているなど、内部も外装と同じような趣向のデザインを施されている。
Kuala Lumpur, Malaysia : クアラルンプール・マレーシア マレーシア随一の巨大電力会社TNB-Tenaga Nasional Berhadの敷地内にある、モスクと複合施設で全体をKompleks Balai Islam An-Nurとも呼ばれている。2019年完成の現代建築でで、モスクは角が丸い不規則な5角形の3階建てでできている。白い優美な曲線と対照的なシャープなミナレット、控えめな高さのドームのミニマムなバランスが絶妙である。昼下がりの暑さの中、モスクはそよ風が通り抜け、付近の高層ビルを水面のように反射する床はひんやりとしていた。社の敷地内にあるため、従業員のためだけのモスクなのではないかと思っていたが、そうではなく外部からの礼拝は可能とのことだ。訪れたのは日曜日で誰もおらず、英語と少しの日本語を話せる警備員と話をした。
Muar, Malaysia : ムアル・マレーシア ジョホール州には過去、統治していたスルタンがイギリスと強く結びついており、その後の植民地時代を通じて西洋建築の技術を取り入れた建築物が多くある。ジョホール州境手前に近いムアルに街を代表する大きなモスクが2箇所あるのだが、このモスクも、また Sultan Ibrahim Jamek Mosque と呼ばれるモスクも英国植民地時代を彷彿させる西洋建築とイスラーム建築が融合したデザインで造られた。街を流れるムアル川を挟んで、どちらもなぜかほぼ同じような構造である。寄棟造りの屋根と西側面に大きなドーム、反対側の東側面に細い柱で支える四角形のバルコニーと窓のあるミナレットと、一見ではパーツごとの区別は難しいくらい似ている。礼拝堂内部はアーチや柱頭に西洋建築らしさも感じるが、マレーやアラブの文様なども取り入れている。大きな木製の彫刻が施されたミンバルが独立して立っており、キブラ壁にある凹みをもつ形状のミフラーブはない。その背後にはブロークン・ペディメントで装飾された星の文様入りのドアがある。ドアの裏は外から見ると側壁の大きなドームのある半円形の部屋なのだが、特に部屋に何か宗教的な機能があるようでもなかった。寄棟造りの屋根なので、天井は外から見る限り普通の屋根だが、ドームは礼拝堂中心上部にある。
Bihac, Bosnia and Herzegovina : ビハチ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ 重厚な造りのゴシック教会かと思える実に美しい建築である。ゴシック建築の要点でもあるバラ窓と尖頭アーチのエントランスが目を引くが、立派なミナレットがしっかりと立っており、間違いなくモスクである。原型となったのはChurch of Saint Anthony of Paduaと呼ばれた、ゴシック建築のカトリック教会であり、当時クロアチア領だったこの地は1592年にオスマン帝国の侵攻を受け教会はモスクへと転用された。ボスニア ヘルツェゴヴィナとなった現在ではそのままモスクとして使用されており、1266年建造のボスニア最古のゴシック建築と言われている。屋根はオレンジ瓦の寄棟造りでモスクのファサードには前述の鉛筆型ミナレット、広場側にステンドグラスの窓があり、広場と反対側には過去に鐘楼と修道院が併設されていたが既に壊されている。こちら側は壁の色が変わっているのでおそらくその影響であろう。内装は完全にモスクになっていてキリスト教会の面影は全くなくっている。元々教会として建造されたため、天井にドームはなくフラットな状態で、バルカンの寄棟造りのモスクで見かける平面でドームを模した描画もない。当然ミフラーブのあるキブラ壁はメッカの方角を向いていないはずである。画像を見るとわかるが、おそらくミフラーブには角度をつけず、礼拝の方向だけを列を示す絨毯の線でメッカへの角度をつけているのかと思う。2階のバルコニーも画像が歪んでいるようにみえるが礼拝の方角へ角度を付けているからなのであろう。
As-Salt, Jordan : サルト・ヨルダン 丘陵にクリームイエローの壁の建物がひしめき合う、独特な景観のAs-Saltにある大モスクである。モスクの原型は現在のエジプトを中心としてたマムルーク朝の時代に造られたものだが、現在は全く新しく改築されている。1階は商店と礼拝堂、2階ではムスリマが集まり何か講義をしていた。商店のファサードはアラブ風でもありながら直線を使った現代建築にアレンジされている。とは言え、ドーム本体のデザインや角が落とされた台座と窓のデザインはマムルーク建築を意識しているのではないかと思う。ドームは鈍く光るグレーに塗られている。ミナレットは1本で円柱形と円のバルコニーに八角形の屋根がつく。