ムガール様式で建造されることが多いインドのモスクの中で、異彩を放つムーア様式建築のモスク。スパニッシュ・モスクという別名でも呼ばれ、ハイデラバードの貴族らとその一人Iqbal Ud Daulaによって建造が始まり、1906年に完成した。モスクの名にもなった彼がイベリア半島を旅行中に見たムーア様式建築に感銘を受け、それをインスピレーションにデザインされ造られたという。そのため、通常のモスクにあるような円柱形の高いミナレットやドームはなく独特な八角形の尖ったデザインの尖塔型のミナレットをもつ。
ロケーション:ハイデラバードの中心にある湖、フセイン・サーガルの北側にある。歴史建造物のある観光客の集まる地区とは反対側で、公共の交通機関は分からずオートリキシャで訪問した。
Kuala Terengganu, Malaysia : クアラトレンガヌ・マレーシア クアラトレンガヌにあるイスラーム文化を紹介する公園に接する海上に、鋼とガラスでできたそのイメージから「クリスタル」の名のモスクがある。2008年完成、4本のミナレットをもつ。ガラスは角度によって光線と反射の加減で金色から黒へ変化し、不思議な色合いを見せていた。礼拝堂内からガラスのドームを見上げると色は付いておらず透明な光が祈りの場所を照らす。内部は白と金・黄色を基調にした幾何学と植物の文様が使われ、礼拝所を囲むガラスの壁も装飾され外光に文様が浮かび上がる。
Shah Alam, Malaysia : シャーアラム・マレーシア クアラルンプール郊外のセランゴール州シャーアラムにある、2012年に完成したモスクで、ブルーモスクとして著名な Sultan Salahuddin Abdul Aziz Shah Mosque に続く王立モスクとなった。4本のミナレットと1個のドームをもち4,000名を収容する大きなモスクだ。デザインや構造に特徴があり、マレー様式を取り入れずほぼ純粋にアラブ様式で建造されている。極わずかに赤みを感じるクリーム色の外壁で際立った装飾はほぼなく、外見はまるで中東のモスクだ。ドームも装飾は鋸状の線が入っているのみ。内部の構造もメインエントランスから事務所などのある棟の通路を進み、連なるアーチを横に見ながら中庭を突き抜け礼拝堂へ入るという、いかにもモスクらしい、日常から心の切り替えをしながら礼拝へ望むスタイルだ。礼拝堂のシャンデリアも中東のモスクでよく見かける円状のランプが吊るされたタイプであった。ドームの内側も装飾はなく真っ白なタイルで格子を組んだ構造上の線が見えるのみであった。
Osh, Kyrgyzstan : オシュ・キルギスタン 聖山スレイマン・トーの麓にある、4本のミナレットと銀色に鈍く光るドーム、1,000人を収容できるという礼拝堂のあるキルギスタン第2の都市オシュ最大のモスクである。その姿は背後に聳え立つ岩山の崖と雲低い青空に良く映える。一帯は世界遺産に登録され、このモスクのある麓からは予言者スレイマンをたどる聖地巡礼の遊歩道があり、その道は背後の岩山の頂きまで続いている。礼拝堂のドーム内側の頂点に向かう多数の線のデザインは、「ユルタ」と呼ばれる現地の伝統的な遊牧民が使う移動式住居の天井を模しているのではないかと感じる。
Bihac, Bosnia and Herzegovina : ビハチ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ 重厚な造りのゴシック教会かと思える実に美しい建築である。ゴシック建築の要点でもあるバラ窓と尖頭アーチのエントランスが目を引くが、立派なミナレットがしっかりと立っており、間違いなくモスクである。原型となったのはChurch of Saint Anthony of Paduaと呼ばれた、ゴシック建築のカトリック教会であり、当時クロアチア領だったこの地は1592年にオスマン帝国の侵攻を受け教会はモスクへと転用された。ボスニア ヘルツェゴヴィナとなった現在ではそのままモスクとして使用されており、1266年建造のボスニア最古のゴシック建築と言われている。屋根はオレンジ瓦の寄棟造りでモスクのファサードには前述の鉛筆型ミナレット、広場側にステンドグラスの窓があり、広場と反対側には過去に鐘楼と修道院が併設されていたが既に壊されている。こちら側は壁の色が変わっているのでおそらくその影響であろう。内装は完全にモスクになっていてキリスト教会の面影は全くなくっている。元々教会として建造されたため、天井にドームはなくフラットな状態で、バルカンの寄棟造りのモスクで見かける平面でドームを模した描画もない。当然ミフラーブのあるキブラ壁はメッカの方角を向いていないはずである。画像を見るとわかるが、おそらくミフラーブには角度をつけず、礼拝の方向だけを列を示す絨毯の線でメッカへの角度をつけているのかと思う。2階のバルコニーも画像が歪んでいるようにみえるが礼拝の方角へ角度を付けているからなのであろう。
Bandung, Indonesia : バンドン・インドネシア バンドン市長にして建築家であるモハマド・リドワン・カミル氏と彼の設立した建築事務所Urbaneによって2010年に完成した。1本のミナレットと1,000人を収容する礼拝堂をもつ。外観は想像しうるモスクとまったく異なり、ドームのない立方体からなり、外壁として積み上げられた2色のブロックでカリグラフィーを表現している。内装に於いてもメッカの方向を示すキブラの壁はなく、長方形に切り取られた空間となっており礼拝者は外から射す光と向かい合う。外装と内装ともに、白・黒・グレーの素材でほぼ統一されており、伝統的なイスラーム紋様などの装飾は見られない。
Muar, Malaysia : ムアル・マレーシア ムアル川沿いに建つ、寄棟造りの屋根とイギリスの西洋建築が融合したコロニアル風のモスクで、意図は不明だが対岸の Sultan Ismail Mosque はこのモスクの1887年の完成の後、相似のデザインで建造されている。建物側面にせり出したキューポラの載った大きなドームは、モスクというよりも植民地時代の政府関係の庁舎にでも使われるような美しいデザインで、当時のジョーホール州のイギリスとの結びつきを感じる。ミナレットも独特で、正方形のバルコニーに円柱状の塔のような西洋風のデザイン造られた。対岸のモスクとの大きな違いは礼拝堂上部の天井のドームの有無で、こちらのモスクには無く、天井はフラットである。浄め(ウドゥー)を行う水場もまた独特で、天井に円形の吹き抜けが造られ、見上げると空とミナレットが目に映る。対岸と同じくメッカの方角が側面の大ドームになるが、キブラ壁にミフラーブの凹みもないため、ガイドは無いが金細工の大きなミンバルが真ん中に立つ。
Muar, Malaysia : ムアル・マレーシア ジョホール州には過去、統治していたスルタンがイギリスと強く結びついており、その後の植民地時代を通じて西洋建築の技術を取り入れた建築物が多くある。ジョホール州境手前に近いムアルに街を代表する大きなモスクが2箇所あるのだが、このモスクも、また Sultan Ibrahim Jamek Mosque と呼ばれるモスクも英国植民地時代を彷彿させる西洋建築とイスラーム建築が融合したデザインで造られた。街を流れるムアル川を挟んで、どちらもなぜかほぼ同じような構造である。寄棟造りの屋根と西側面に大きなドーム、反対側の東側面に細い柱で支える四角形のバルコニーと窓のあるミナレットと、一見ではパーツごとの区別は難しいくらい似ている。礼拝堂内部はアーチや柱頭に西洋建築らしさも感じるが、マレーやアラブの文様なども取り入れている。大きな木製の彫刻が施されたミンバルが独立して立っており、キブラ壁にある凹みをもつ形状のミフラーブはない。その背後にはブロークン・ペディメントで装飾された星の文様入りのドアがある。ドアの裏は外から見ると側壁の大きなドームのある半円形の部屋なのだが、特に部屋に何か宗教的な機能があるようでもなかった。寄棟造りの屋根なので、天井は外から見る限り普通の屋根だが、ドームは礼拝堂中心上部にある。
Sarajevo, Bosnia and Herzegovina : サラエヴォ・ボスニア ヘルツェゴヴィナ サラエヴォ市内のオスマン帝国時代の建築が多く残る旧市街から少し離れた場所にこのモスクはある。中低層の建物や新しいショッピングモールなどが建つエリアであるが、このモスクだけは広く緑地が取られ樹木が立ち並ぶ中で静かに佇んでいる。オスマン帝国時代の高官であるハディム・アリ・パシャが名の由来であり、オスマン様式で建築され1561年に完成した。1本のミナレットと1個の大ドーム、回廊の上部に3つの小ドームをもっている。ボスニア内戦時に損傷を受けたがその後改築された。メインのドームの内側を飾る装飾はなく、白く塗られたドーム周囲に窓枠とそれを模ったデザインの枠があるのみ。控えめなデザインが美しい。